◆その73~御縁を活かさなかった為の不運
これは、私が三十代半ば頃に体験した私自身の話です。
私は大学卒業後、十一年間務めた中学校教師の職を辞し、新たな夢を追い求め、ブラジルへと旅立ちました。
その夢とは、「南米大陸に神社神道を広め、文化の礎を築く、その先駆けとなる」というものです。
私は、日本から二十時間以上かかる飛行機の旅で、南米最大の都市サンパウロへと赴き、神道布教の先輩である南米大神宮の逢坂和男宮司の元を訪ねました。
逢坂宮司は、本場の美味しい珈琲とセルベージャ(ビール)を御馳走して下さり、
「穂積さん。私を訪ねてくれたのは嬉しいが、まだ神社も出来ていないので、あなたをお世話する事が出来ない。あなた一人で一から神社を立ち上げるのも大変な事だし、隣町にある、表現は悪いがブラジルでは老舗の神社を一度訪ねてごらん」と、兄のように優しく諭してくださいました。
その神社は、サンパウロ市の隣、アルジャ市にあるブラジル大神宮。乾燥したブラジル特有の木や草のまばらな広大な丘の上に、多くの摂社、施設を備えた神社でした。
私を迎えてくださったのは、佐藤友保宮司と神社開祖の森下鈴子先生。佐藤宮司が私の住まう湯河原の隣町、熱海市の伊豆山神社で神職の修行をされたというお話に縁を感じ、また森下開祖が「あなた、ここで働きなさいよ。お母様、お体が弱いみたいだけれど、一緒に連れて来られたら。私も元々、体弱かったけれど、ブラジルに来て、ここに住んで、もう八十四歳。こんなに元気よ」と親身に話をして下さり、ひとことも話していない母の体調を見通す霊能力に驚かされました。
神社総代の高橋伸治さんからも「宮司、ここで佐藤宮司や森下開祖、そして神社を助けてくれませんか」と言われ、そうしようか…、と考える自分も居たのですが、同じ頃出会った別の方に「宮司、あなたは由緒深い神職家の当主だ。南米大神宮やブラジル大神宮とは、歴史の深みが違う。ご自分の力でもっと立派な、ブラジルに冠たる神社を創建するのが本筋でしょうよ」と言われたのです。
私はその言葉を信じ、色々と頑張りましたが、貯めてきた預金も、飛行機運賃、生活費、交際費で使い果たし、母の病状も進んでしまい、ブラジルへの夢は青空の中へと吸い込まれ、消えてゆきました。
あの時、変なプライドやこだわりを一旦横に置いて、出会った方々との御縁を活かし、地に足をつけて生きたなら、私の夢を、ブラジルに根付かせる事ができ、母も、ブラジルの陽気な風土の中で長生きをし、今も隣で微笑んでいてくれたのかもしれない。そんな想いに浸る、還暦の私、ではあるのです。
こころざし いだきてわたる ブラジルは
ゆめのなかにも かがやきてあり
(志 抱きて航る ブラジルは 夢の中にも 輝きてあり)
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