WHER THE DRAGON GODS ARE -りゅうじんたちのいるところ-#01

パワースポット体験#002-1
パワースポット体験

旅のはじまり

皆さんがパワースポットに行きたいと思うとき、またはその場所に行った時、なぜそこに行こうと思いましたか?
パワースポットにただ行けば幸運になれるのでしょうか?「願望が叶ってラッキー♪」と人生イージーモードになれるのかな・・? ふと筆者は疑問に思いました。
「祈るとはなんだろう。」
原点回帰というキーワードが頭に過った時にとても会いたくなった思った友がいました。保健師・看護師であり、猟師でもある『星くらジビエ』の代表者、岡村絵里さん。鹿に愛され鹿に導かれるようにご縁を巡り、鹿と人の命に向き合っている彼女の視点でおススメのパワースポットを巡りながら、祈りと命について考えます。

この記事を書いた人はこんな人
星くらジビエ代表:岡村絵里さん

旅の案内人
岡村絵里さん:東京都出身。奈良県在住。保健師・看護師。まるで運命に導かれるように猟師の師匠とのご縁が繋がり、狩猟から解体に至るまでの技術を習得。「頂いた命は余すところなく命のサイクルに還元する」事を大切に、骨の活用法を試行錯誤していた頃、ボーンブロスを推奨する医師と出会い、現在は解体からは撤退してボーンブロスと一般家庭向けの鹿肉販売に専念。

※ボーンブロスとは、骨付き肉を煮込んだ出汁(スープ)。腸内環境をサポートする食事として注目されている。

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何を想い、そこに行くのか? 何と向き合い、手を合わせるのか?

パワスポ巡りを担当しているにも関わらず、方向音痴な上に普段の行動範囲は狭く、一人旅をするには心配要素が多すぎる雨女の筆者の為に、絵里さんからこれで来いという手厚いサポート。
「東京に…朝7:21かぁ~…、朝……早ぇえーー!
ぜひ今行きたい場所に連れてって欲しい、どこでもいいから!とお願いをしたところ、提案してくれた場所はまさに筆者がいつか行きたいと思っていた奈良県宇陀市にある龍神の谷でした。
ここは古くから大切にお祀りされてきた龍神様の住まう場所。巡るべきスポットもた~~~~~~っくさんあります。
当然、お日様は待ってくれません。是が非でも午前中に着かねばなりません。よって、この時間に。(※筆者は千葉県民)
まず向かうは龍鎮神社と龍鎮の滝。筆者はとにかくここに行きたかった!(※趣旨を忘れてはしゃぐ筆者であった)
龍鎮神社は室生ダムの近くにひっそりと佇む古社で、龍の目を思わせる美しいエメラルドグリーンの滝つぼが有名!
最寄り駅は室生口大野駅ですが、今回は榛原駅で待ち合わせ。絵里さんの車でピックアップしてもらいます。

龍鎮神社と龍鎮の滝

室生口大野駅近くに鎮座する海神社(かいじんしゃ)の境外摂社。古くより雨乞いの神として信仰されています。 渓谷全体が聖域で、拝殿から川を挟んだ小さなお社を参拝します。

御祭神 高龗神(たかおかみのかみ)
 住所 奈良県宇陀市榛原荷阪
その他 最寄り駅:近鉄大阪線 室生口大野駅(から約3km)
駐車場:なし 公式HP・社務所:なし

※無人の神社です。室生ダムに駐車スペースとトイレがありますが、そこを過ぎると駐車場はありません。

いざ、龍神の住まう古の谷へ

さっそく、古くから大切にされてきた龍鎮の滝をめざします。住所の無い渓谷。GoogleMapに登録されていますが、なかなかの秘境感です。室生ダムの端から山奥へ入り込んでいくわけですが、入口もひっそりとしています。ダムに添った道は舗装されていますし、山道も整備されていますが、その昔はどれほど険しかったのだろうかと思えば、確かに儀式に相応しい、おいそれと近づけない聖域だったのではないだろうかと想像してしまいます。

室生ダムをなぞる様に伸びる道にそって進み、赤い「龍鎮橋」を目指します。橋の近くにある道標が入口の目印。
うっかりしてると見過ごします。(実際、帰り道に、この目の前で「龍鎮神社(の入口)ってどこですか?」と聞かれました。)
この付近の道路は狭い山道。入口付近まで車を付けたい場合、通行の妨げにならない場所で路上駐車をするしかない環境です。また周辺にトイレは無く室生ダムが最寄りです。

では、聖域に入ります。

山道はキレイにされていて積雪や土砂降りでなければ比較的歩きやすいと思います。一歩踏み入れれば感じる大自然の気持ちよさ。このエリア一帯に感じる水の豊かさと植物の強さ。ゴロゴロと佇む苔むした大岩は火山帯の噴火によるもの。縦にそぎ落としたような巨大な岩壁や積まれた丸太の山。ここ、ゲーム世界かナニカかな?と思うほど圧倒的な景観が続きます。川の水深は浅く岩肌を撫でるように流れる水は透明度が嘘みたいに高い。道端の岩の上に置かれたお供え物。「これは何?」と絵里さんに尋ねると、「誰かが手を合わせたんだろうね~。ここはそういうの多いよ。」とのこと。なるほど、この空気感、ここに来れば、圧倒的な自然の中にパワーを感じて手を合わせる気持ちがよく分かります。この渓谷は脈々と続いてきた自然信仰を感じられる場所なのです。

しばらく道なりに進むと左の眼下に目指すお社と拝殿が見えてきます。山道脇から鳥居をくぐって拝殿に続く階段を下っていきます。ちなみに、歩いてきたこの道の先はしめ縄で〆てありました。(写真右)

高龗神(たかおかみのかみ)…って、どちらさま?

数日前までの雨予報をひっくり返して広がる青空。日差しを反射してキラキラと輝く水流の先に静かに佇むお社がありました。とても小さな、けれど、存在感のあるお社です。木々が日傘になるようにお社にあたる日差しを避けているようでした。水が森を育て、また森の木や岩が水を磨く相関関係を思い起こし、「自然崇拝ってバランスなんだなぁ。」などと勝手に解釈してみた筆者でした。
ここにお祀りされる神さまは高龗神(たかおかみのかみ)です。
龗という文字が雨乞いを表し、龍神様という意味で、日本神話に登場する水(の供給)を司る神として祀られており、龍神社として有名な京都の貴船神社の御祭神です。また御神徳は祈雨・止雨とされています。

しみ’S memo

名前も所説も八百万の日本の神さま

日本の神さまって、、どうしてこうもややこしいのでしょう…。混乱するのは私だけでしょうか?
今回のご縁、高龗神について整理しますと、、誕生秘話から衝撃的
ザックリ解説>「伊邪那美(イザナミ)」が火の神「迦具土神(かぐつちのかみ)」を産んだ際にその火に身を焼かれ亡くなる。夫「伊邪那岐(イザナギ)」が愛妻を亡くしたショックで恨み言を言い放ち日本初の子殺し。何かしらのアクションの度に奇跡が起きちゃう神クラスの為、その時の遺体や血飛沫がことごとく神化。そこで登場する一柱、剣から滴る血から産まれたとされるのだが…ここも所説有り。古事記ではこの事件の血飛沫で八柱の神が産まれ(別名含めると10)、日本書紀では三段切りして雷神・山の神・水の神(高龗)の三柱とされています。
また、古事記では闇龗神(くらおかみのかみ)とされ、日本書紀では高龗神。この二柱は同一神である説があり、一方で、高龗は渓谷に降る雨の神。闇龗は渓谷を流れる川の神とする説。または、高龗を山上の龍神、闇龗を谷底暗闇の龍神とするなど、もう、パニック。全国の水の神をお祀りしている神社によってもセットだったり高龗だけだったりと色々です。名前&別名:高龗神・闇龗神・闇淤加美神・淤加美神・袁加美神・意加美神…もう、パニック通り越してハイ。
八百万も神さまが産まれちゃうワケです。いや、ワケわからないですが、わからないままを受け入れるのです。神なので。つまり、ぜ~んぶまとめて”龍神”って事です。ふぅ~。
細かい事気にしない。神さまひしめく大らかな日本に産まれて良かった。

「いただきます。」ということ。

お社の右手、とにかく目を奪う美しい滝つぼが龍鎮の滝です。
「さすが、龍神様に愛されてるね!この色(エメラルドグリーンに輝く滝つぼ)は水が澄んでてお日様が出ていないと観れないんだよ。」と絵里さん。ここは絵里さんがいつも心を癒したり元気をもらったり、つまり命の洗濯をしにくる大切なスポット。「ここを管理しているおじさんから聞いたんだけど、ここって、完全な自然では無いんだって。」キレイな水を見ると触らずにはいられない筆者が飛び込みたい衝動を抑えつつ水をパッシャパッシャ撫でてると絵里さんが教えてくれました。「この景観は人工的に造られた造形美なんだって。とはいっても相当古いけどね。
驚き。この、どこもかしこも苔むした感じ。歴史は古そう。

この水は雨乞いの儀式の際に汲む大切な聖水なので、この周辺の川の地形を見るに水深が浅く這うようなせせらぎだと汲みにくいし、豊かな水を貯める壺が欲しいと、私なら想うので、もしかしたらこの壺の部分を昔の人が彫ったのかもしれない。大きな岩盤を祈りをこめて。大自然が作り出したのかとおもいきや、人の手(想い)と自然のコラボによる絶景だったと知り、またロマンを感じる筆者でした。

私はひとつ、彼女に直接聞きたいことがありました。
「どうして、猟をしているの?」
私の知る絵里さんはとても感受性の強い人で、とても信心深い人。といっても特定の組織を崇拝しているという事ではなく、もっと大きな意味での”神さま”に日々手を合わせている人だと思っています。その人がナゼ?自らの手で罠を仕掛け〆る所からやるのか。しかも、ひとりで。
自分に置き換えて想像してもとても出来ない。その理由は…怖い?可哀そう?いや、覚悟が無い。
一見、祈りと狩猟とは対局にあるように思えたから聞きたかったのです。

私たち人間も、食物連鎖の一因である事を忘れてはいけない。
そして、
頂いた命は命の循環に還さなければならない。
畑を荒らすと、ただ殺められ廃棄される命がある一方、
食肉として生まれ死んでいく命がある。
私は決してやりたくてやってる訳ではないけれど、
誰かが担わなければならなくて、
自分には出来てしまうからお役目だと思ってやっている。

害獣として殺される鹿を助けたい想いもある。どうしても殺めなければならない命があるならば、廃棄せずにその全てをありがたく頂く。食物連鎖のバランスが保たれていればサイクルからこぼれる命は無く循環していくもの。鹿が増えた事を日本オオカミの絶滅という人もいるけれど、戦後食肉不足で人が鹿を求めた時代には鹿の頭数は激減してて、その後絶滅しないように保護が入り、トリ・豚・牛の食肉が安定し、狩猟肉が衰退したことで鹿が溢れ、ハンターに駆除されているという現状が少しでも健全化すればいいと願っているの。だから、私は生かされている山の神に「命を分けてください」と猟の前に祈り、分けてもらえたなら「ありがとうございます、いただきます。」と感謝の祈りを捧げに行くの。
鹿は家畜じゃないから、全ては神のご意思にゆだねられているから。どんなに罠を仕掛けても、人も含めた命のバランスで分けて頂ける分しか掛からない。だから、野生の肉は高たんぱく。つまりいつでもありつけるモノではなかったから少しの量でも栄養価が高くできているんだよ。

保健師の彼女らしい捉え方だと思いました。

鹿への想いと食品としての品質保障のバランス
鹿だけの事を想えば銃で捕らえる方が優しい。だって鹿が恐怖を感じなくて済むから。でも、食品としての品質もやはりこだわりたい。弾が肉を傷つけたり金属に触れる事が嫌だから、また、女性一人で運ぶにも困難だから、私は罠猟にこだわっているの。当然、最後に自分自身で〆ている。私は鹿を愛しているから、その最後も全て引き受けてるの。
命のバランスを保つため、捕食者としての人間の役割を担う為、そして無下に廃棄される鹿を少しでも命の環に戻すため。その高品質のジビエを待っている人達の為に私は星くらジビエを続けている。
と語る絵里さんの凛とした目がとても美しくて筆者は聞き入ってしまった。

「もし、そこに罪があるのだとするならば、その全てを引き受けるつもりで命を頂いてるの。」

なんという覚悟だろう。ジビエ?鹿がかわいそう~。などというレベルではなかった。
「いただきます。」の本当の意味を一番知っている人は、とてつもない覚悟で命と向き合い、とても謙虚に神に願い、そして時に癒してもらっていたのでした。

「わたし、鹿を殺してるけど、鹿に嫌われてないと思うんだよね~。」と笑う絵里さんは急に緩かった。
「わたし、たぶん前世は鹿だと思うわ!」
…うん、そっか…   それはどうだろう。。。

そんな私たちの真面目半分、アホ半分の会話を、命の源である水の神は見守ってくれているようでした。
つまらない話は、水に流そう。

いかがでしたか?女性ハンターと行く龍神巡りツアー(タイトル変わってる)。
まだ1箇所目ですが、、ごめんなさいボリューム有りすぎですね。

次回「え?!土禁(土足禁止)ですか?外なのに?」です。お楽しみに!

清水直子

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たまふり屋スタッフの一人。デザイン部所属。台風を伴う雨女。 / 好きなモノ・コト / 本(文学~なろう、漫画 なんでもOKな雑食)。ゲーム(特にTRPG、フ...

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