◆その43~陰陽道と星への信仰

陰陽師-穂積天佑のコラム

陰陽道では古くから、いわゆるお星様の形をした「五(ご)旁(ぼう)星(せい)」が、マジナイの紋章として用いられてきました。

私の高祖父 力衛が愛読していた100年以上前の占術研究書には彼の書き込みがあります。
その中に、円形の周囲に十二支を配した図に、木火土金水の五行を朱筆で入れ、線で結び、五旁星を描いたものがあります。

高祖父は、五行、五旁星と十二支に相関関係を見出していたようです。
陰陽道では五旁星を、相生相剋の五行循環の象徴、また結界のシルシとして捉えますが、本来は天体の星への信仰から来る聖なるシンボルではあります。
星への信仰は広く世界中に分布しています。ユダヤ教はダビデの星で知られる六旁星をシンボルとし、六旁星は二十世紀にはイスラエル国旗の文様となり、また八旁星「ルブ・アル=ヒズブ」はイスラム教のシンボルであります。

このように星を象ったシンボルは、天体宇宙のチカラを得るための装置のようにも思えます。

また高祖父は、自分の羽織に五旁星の形状とつながる梅鉢紋を付けていました。
これは平安時代の大学者 菅原道真公に対する天神信仰や、神代の猿田彦大神への信仰に関わるものであり、我が穂積家に「結び稲穂」の定紋が伝わっているにもかかわらず、この紋章をつけていました。

これも天体宇宙とつながるための「神(かむ)実(ざね)」だったのかもしれず、高祖父は安倍晴明公のような「星の神司」だったのかもしれません。

よひやみの あまつみかぼし さとしうけ よひとみちびく かむつかさなり

(宵闇の 天津甕星 諭し受け 世人導く 神司なり)

穂積天佑

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