◆その39~

陰陽師-穂積天佑のコラム

 人は生きるにあたり、できれば運気を上げていきたいものですが、世の中には真逆の生き方をしていることに気付かない方もいます。

 私が少年の頃、商店を営むとても裕福な御家族が近隣におられました。
店を兼ねた御自宅には太鼓橋の架かる池があり、御子息の結婚式には有名歌手を招き何曲も歌わせたとのエピソードもありました。創業者は明治生まれの優しく心の広い御主人で、子どもの私に池の鯉を見せてくださり、お菓子をいただいたこともありました。

 そんな御主人が七十代半ばで亡くなると、御主人が一番気に入っていた大人しい次男が店を受け継ぎました。しかし次男の兄姉がそれを面白く思わず、遺産相続の争いが始まったのです。争いは数十年続き、商売を継いだ真面目な次男も心を病み、店の売上金を懐に入れ夜の街へと繰り出すようになりました。

 店は廃業に追い込まれ、次男はアパートの一室で孤独死されたとのこと。
そして、有能弁護士を雇い広大な土地を得て勢い付いていた姉も、戦いで勝ち取った土地がバブル崩壊でかつての十分の一の価値となってしまい、弁護士費用を支払った後は何も残らず、雨漏りのする古屋でお気の毒な老後を送ることに。また「長子である自分に一番権利がある!」と強気であった長男も、子どもたちから見放され、寂しい老後を送っているそうです。

巨万の富も限りあるもの。そんなモノへの執着が、彼等の人生を狂わせてしまったのかもしれません。

 あれほど華やかな雰囲気を醸し出していた、太鼓橋のあるお店を兼ねた邸宅は、今となっては朽ち果てた空家となり、行き場を失った野良猫等の住処となっています。

うつしよをゆけるたびじのたからしままぼろしなるをさとるあさなり

(現世を行ける旅路の宝島幻なるを悟る朝なり)

穂積天佑

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