◆その17~陰陽師は身近な相談相手
映画やドラマ、アニメの影響で陰陽師がブームとなって以来、若く美形の貴公子で、空を飛び、妖怪変化を退治する超能力者こそが陰陽師……そんなイメージが人々の脳裏に焼き付いてしまったようです。しかし、現実の陰陽師は、だいぶ違った存在でした。
まず、陰陽道の大成者 安倍晴明公が陰陽師として世に認められ、大きく活躍するようになられたのが五十歳を過ぎてからでした。平均寿命が四十歳前後の平安時代ではかなりの老人であり、八十四歳で天寿を全うされるまで陰陽師として活動された安倍晴明公は美貌のイケメンなどではなく、枯木(こぼく)のような白髪の翁(おきな)でした。
彼は、運勢家としての陰陽師であると同時に陰陽寮の高官で天文博士でもあり、彼の子孫が、陰陽寮の高官職を世襲しますが、室町中期以降の動乱期となりますと、役所としての陰陽寮は崩壊し、役人としての陰陽師は姿を消し、運勢家、宗教技能者としての陰陽師が、全国に散らばり、安倍晴明公の末裔である土御門家、晴明公の師、賀茂忠行卿の流れを汲む幸徳井家、その他に大国家、近世になってからは、浅草の田村八太夫家などが、全国の陰陽師達を支配、指導しました。
彼ら陰陽師達は、日々の吉凶、家相、地相などの風水、種々の祓い、祈祷を通じて、人々の心の問題に取り組む、身近な相談相手でした。
その末裔の一人である我が家も、私の幼少の頃など、私が学校から帰ると、家まで訪ねてくる相談者を、祖父が親身になって話を聞き、占い、諭していた……それが時には、深夜に及ぶ事もあったことを、記憶しています。
人と人とのつながりが希薄となり、身近に相談する相手が見つからない人が多い現代、陰陽師という存在は、必要であると思うのです。
うつしよの こころのなやみ こたふるは
おんみゃうじなる あがつとめなり
(顕世の 心の悩み 答うるは 陰陽師なる 吾が務めなり)
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