◆その48~ 鎮魂の成功 その2
それから4年後の祖父の三年祭の席で、私は親類の80代の女性から5代前の祖先 穂積藤馬とその家族について聞かされました。
大きな戦争から逃れ東北地方から当地へ来た彼らの中には逃げ切れなかった家族もいて、後にこの戦争が「戊辰戦争」だったと知りました。
さらに30年後、ふと思い立ち藤馬の妻 早の生家である石川県金沢市の橋家の墓地を訪ねました。
我が家としては百年ぶりとなる鎮魂の祈りを捧げた後、不思議な巡り合わせで見つかった史料から藤馬が越後長岡藩士だったことを知った私は、いても立ってもいられず長岡に出掛け調査を進めました。
すると藤馬宜昌とその父、藤馬義久が二代にわたり長岡藩御馬乗り役を務めていたこと、また縁あって関東一円の神社の神事を司る水戸の穂積宗家の跡を受け継ぎ神職となった経緯が判明し、当時の住居跡に立つこともできたのです。
その夜、宿泊先の長岡駅前のホテルでワインを飲んでいると、眺めやる先に美しい花火が上がりました(翌日知りますがこの夜、長岡のどこでも花火は上げられていません)。
心地良い酩酊感の中、部屋の隅を見ますと、あの浪人武士と和服の女性が立っていたのです。
女性は以前と違い傷のない美しい顔をしていました……。
「私たちのことを長い期間にわたって調べてくれたようだな。ありがとう。どうだ、長岡は良い御城下だろう」
「はい。藤馬大祖父。とても良い街で気に入りました」
「お前のこれから進むべき方向も悟ったかな?」
「はい。何か久々に希望に満ち溢れています」
「それは良かった。また長岡で会うとしようぞ」
「長岡でまた会いましょうね」
その夜、とても不思議な夢を見ました。栗毛の馬に乗った私が草原を駛走しているのです。
吹きつける風も心地良く、お客様や地元との関係や仕事そのものに行き詰まっていた当時の私に、馬と走り往く地平線の彼方に進むべき道があることを夢の中で気付かせているような気がいたしました。
よよのおや うまのともなる つとめにて あれもならひて はしりゆくなり
(代々の祖 馬の友なる 務めにて 吾も習いて 走り往くなり)
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